ここで待ってます

喜怒哀楽のなぐり書きですが。

私もあなたもバチあたり。

昨夜はかなりの雨が降った模様です。

早朝の路上が黒く濡れておりました。

この、「知らないうちに降った雨のあと」を見るというのが、

何故だか妙に好きなんであります。

 

コーヒーを飲みながらのいつものネット徘徊で、面白い記事を

見つけました。

www.yomiuri.co.jp

「そんなことしたらバチがあたるよ!」と叱られたり、

「天罰が下ってシマエ!バカヤロウ!」と感じたり。

そんな経験ってほとんどの人が持ってるかと思われます。

 

どんどん最新のテクノロジーってやつが生み出され、人々が

より文明的なもの、便利なことの洪水に浸った今になって。

あえて昔よりも「バチ」を信じる人が多いって面白いですね。

 

でも、それって。

昔よりも殺伐とした世の中になってきている、ってことでしょうかね。

日々起こる不条理なことに対しての憤りや不安。

だけど自分は無力だ、なにもできない、神様なんとかして!と。

そう考えるとバチがあたるって「願い」なんですね。

 

「バチ」ってあるんでしょうかね。

子供の頃、雑誌の付録だったのかな、少年少女向けのミステリー小説を

読んだことがありまして。

その中に、この年齢になっても覚えている印象的な短編があるのです。

何回も読んだので、細かい部分もよく覚えていたりします。

が、作家の名前、題名などはすっかり忘れているんですが。

 

ある少年が近所で飼われている犬に吠えられ、追いかけられて非常に

怖い思いをしたところから物語は始まります。

(昔は放し飼いのワンコって多かったからねー)

少年は「あんな犬、車にでも轢かれちゃえ!」と思います。

そんなことも忘れかけたある日、少年はその犬が車にはねられたことを

知るのです。犬は運よく命は助かりましたが、もう走れない体になって

しまいました。

「ザマミロ」と思います。そのときは。

けれどもその後、たて続けに、自分をいじめたクラスメート、自分を

叱った父親を憎んだとき、相手に不幸が起こるということを経験します。

さすがに少年は不安になります。「バチでもあたれ!」と願う相手に、

必ず罰が訪れるのですからね。

そして極めつけは、近所で起こった殺人事件でした。

殺されたのは常日頃から、少年に怒鳴りちらすことがあったオジサンです。

「あんなジジイ、いなくなっちゃえ」と少年は思っていたのでした。

ところが、それが現実となってしまったのです。オジサンは、ほんとうに

この世からいなくなってしまったのです。それも無残な殺され方をして。

これにはせいせいするどころか、少年を恐怖のどん底に陥れてしまいます。

「ぼくの願ったことが、よっつも現実になってしまった!!」

「ぼくが、バチがあたれ!なんて願ったからだ!」

 

少年は、眠れない夜をいくつか過ごしたあと、たまたまその事件の

捜査にきていた刑事さんに、泣きながらすべてをうちあけるのです。

刑事さんは、事件が無事解決したことも含めて、少年に優しく言います。

「きみの言うことはよくわかった。よく話してくれたね、勇気がいっただ

ろう?だけどね、話してくれた四つのことは、全部きみのせいではないんだ」

 

刑事さんは、オジサンを少年が思ったようにいなくなっちゃえと願った人は

たくさんいたこと、だけど誰も殺したりしてないこと、オジサンは偶然に

階段からころげ落ちて運悪く死んでしまったことを告げます。

「僕はおまわりさんだから、きみよりずっとたくさんの悪い人に出会う。

きみより何十回も人を憎むことがあったし、バチがあたって欲しいと願う

こともいっぱいあったよ」

「だけどね。人には誰かにバチをあてるちからなんてものはないんだよ」

 

「きみはもちろん、僕にもないんだ。僕にあるのは、どうしてそんなことを

したのか、そんなことをしないためにはどうしたらいいのか、それを考える

ことぐらいなんだ」

 

「不思議なことに、誰かを踏んだらいつか自分も踏んづけられる。誰かを

泣かせたら、そのうち自分も泣くはめになる。それがバチってものかも

しれないけど、それを行えるのはたぶん神様だけかもしれないね」

 

「きみが思ったことはあたりまえのことだよ。悩むことなんかない。

でもね、大事なのはすぐ忘れてしまうこと。いやな思いをしたら、きみが

誰かにそんな思いをさせなければいいんだよ。そうすれば、バチが当たる

どころか、きみにすごくいいことがやってくると思う」

 

とまあ、こういうお話。

短編のくせに、こやって書くと長いなあ。引っ張ってごめんなさいです。

少年はのちに、弱きを救け悪を斬る立派な刑事となったのでした。

 

・・・・・・なんてオチはないです。エエ。

 

まああの、昔の少年少女向けですし、私の記憶をもとにしてますんで、

多少の脚色はご容赦くださいまし。

突っ込みどころはありますが、教訓とお説教まみれの「イソップ童話」、

あれとおんなじようなものかと。

(え?そう?そうですか)

 

酷いことをして平気な顔でぬくぬく生きてるような奴はいっぱいいます。

人を踏みつけペッチャンコにしておいて、自分が踏まれそうになったら

要領よくかわして逃げられる人も多く見かけます。

そういう人にバチが当たってるかといえば、どうなんでしょ?

そういうことも確かにあるような、いやそんな都合よくいってないような

なんかモヤモヤするような毎日でありますね。

 

ただ私。

誰かに(人間に限らず)酷いことができる、という時点でその人は

もう壊れてるんだという気がします。どこかおかしいんですよ。

外からは「平気な顔で生きている」と見えても、たぶんそういう人の

内面では見下げられないために必死だからマウントに命をかけるとか、

強い者には勝てないから弱い者を常に狙うとか。

何だかもうサイテー!な自分にものすごく苦しめられてるのではと。

もうね、中身ぐっちゃぐちゃな毎日を送ってる気がするんですよ。

 いやだいやだそんな毎日。

これってある意味「バチがあたってる」といえませんかね。

あ・・違う?そうですか。

 

自分がそんな奴だってことにすら気づいてない人がいますよって?

確かに。

そういう人のところには必ずバチがやってきますよ。

因果応報。

私はそう祈ってます。

(祈りなのかっ)

 

もう読まれてる方にはおわかりかと思うのですが。

私実はもうこの記事終わりにしたいんです。

書いてて嫌になってきちゃった(笑)。

で、投げやりな終わり方をさせて頂きたいと思います。

(何様なんでしょうか)

 

人間って、生きてるだけでバチあたりなんだと思うんです。

何かを搾取しないと生きていけないし、微力なくせに変に頭だけ

いいですし(私は除く)、叱られたくないのに人には怒る。

私も犬散歩のときウンを取るためにうっかり野の花や、虫などを

踏みつけたことがあります。一生懸命生きてたのに。

みなさまも、きっとあるんじゃないかと思います。

 

で、結論。

「私もあなたもバチあたり!」

 

さあご一緒に。