ここで待ってます

喜怒哀楽のなぐり書きですが。

それだけは誰の上にも平等に。

朝からびしょびしょと雨が降っております。

今朝もいつも通りに菜々子アラームで起こされたのですが、

雨でもハダカで歩く犬にとって、さすがにこれはどうなのよ、な

そんな窓の外でしたので、なだめすかして時間稼ぎを。

その間に、じっくり読みたいと思っていたある方のブログを開かせて

いただくことにしました。

 

 

 

泣きました。

口にしたあんこパンの味もわからないほどに。

(モノ食べながらかい・・でもホラ、例の人生の味・・)

こんな道端の塵ブログにておこがましいと思いましたが、

とても感銘を受けた記事でしたので、リンク貼らせていただきました。

(一方的ではありますが、お伺いはたてました)

 

however-down.hatenablog.com

however-down.hatenablog.com

 

他にも胸をうつ記事はたくさんありました。

今朝、私の「涙の総入れ替え」をさせて頂いたのは上記のものです。

 

「死」というものが非日常ではない人が書かれる言葉には凄みがあります。

時には辛辣であり、冷淡にも感じられそうな部分もありはしますが(失礼)、

それでもその考え方、向き合い方は優しく、あたたかく。

偽らない慈しみに溢れているのが読み手にも伝わってきます。

 

小さくなった雨の音にも菜々子の鼻鳴き声にも気づかないぐらいに

熱中して読んでしまいました。

(母ちゃんは今忙しいの!もうちょっと待ってなさい)

ブログ主さまには、感謝以外の言葉はみつかりません。

ありがとうございました。

 

 

「自分が死ぬ」ということに敏感だったり、恐れたりする人は

多いですよね。当たり前です。お試しトライアルキットがあるような

もんじゃーありませんし、怖がること=生きてることともいえますし。

(たまに三途の川を見たとか言う人はいますが・・ホントなのー?)

私は。

自分の命が終わるってことに関しては、妙にドライであります。

悟りの境地に達してるわけでは決してありませんが、

「その時期が来たら、否が応でも終わるんだからしゃーないさ」と

思っています。

これはその昔「もしかしたら死んでたかな」という体験をしたことが

大きいのかもしれません。

あー眠くなっちゃったと目を閉じて、意識とともに心臓も眠ってしまえば

それが「死」です。

私のは人が計算しつくした人工的な眠りであったので(つまり麻酔)

無事おメメを開けることができましたが。

それでもずいぶん後に私の病の「生存率」を知ったとき。

「うっひゃー、この時点で宝くじに当たっちゃった。もう一生ないな」

そう思いましたからねえ、これはホントに。

 

自分の死そのものは全く怖くはないのですが、それに付属する事柄、

今私が死んだら菜々子は、高齢の母親は、どーするのさ!ってことは

やはり気になります。できれば犬と母を看取るまではお願い神様、と

思ったりしています。

夫はその風貌から想像できないほど、案外な泣き虫なので、べそべそは

するかもですが結構なんとか生きてはいくでしょう。

自分に絡まるものがなければ、人は死を受け入れやすいのかなとも、

そんなふうには感じます。あくまでも私個人は、ですよ。

 

そういえば私の夫も、人の死や、あんまり普通はみたくないような

陰の部分に多く携わる職業に就いておりましたな。

仕事上のことはほとんど話しませんし聞いたこともなかったですが、

一緒に街を歩いてるときに急に、「あ、あっち行くのやめよ」と

言い出すことがありました。

なんでと聞くと、遠くの赤灯群の中に停まっているワゴン車を指さして、

「あれ、死体運搬車なんだよね、あそこで誰か死んでるんじゃない」

「オマイは野次馬根性旺盛だから、ああいうの見たがるでしょ」とも。

んまあ!失礼なっ!!(でも当たるとも遠からず)

またある時は、あるマンション(ウチではない)の入り口階段に置かれた

シートにくるまれた細長い荷物を見て、通り過ぎてから。

「オイオイ、どこの奴らだよ、あんなとこに置きっぱにするなよ」と。

またまた何?と聞く私に。

「あれご遺体だから」・・・・!!!・・・はい?

 

考えてみれば、毎日どこかで誰かは必ずお亡くなりになってる訳ですから。

それに携わるのが「非日常ではない」方々もまた多くおられるのは当然で。

これもまた、大変にありがたいことでもあります。

いつかは絶対にお世話になることになるのですからね。

どんな人であっても。

 

矢野顕子さんの昔の歌の中に「ごはんができたよ」って曲があります。

www.youtube.com

義なるものの上にも。不義なるものの上にも。

いい人の上にも。悪い人の上にも。

静かに夜はくる。みんなの上にくる。

 

「死」が意図されてるものでは決してありませんが。

それを考える時、つい頭に浮かんでしまうフレーズであります。

 

あたりまえの日常を過ごすときは、誰も滅多に思うこともなく。

「人命にはなによりも代えがたい」と誰ぞの言葉の軽さに首をかしげ。

長さ、短さ、その有様、流された涙の量、惜しまれるかせいせいされるか。

それぞれに違いはハッキリあるんだけれど。

 

いつかは終わる。必ず「はい、ここまで。お疲れ様」の日がある。

それだけは、誰の上にも平等なんですよね。

 

いやー朝から重めでしょうか。

でもどうしても書きたかったもので。

 

あっ、あとでクダラナ記事も書きます。

「ウチのタケ子の現在」とかっ。

誰も待ってないですかそうですか(笑)。