これがウワサの・・・!
朝カーテンを開けて、早々とベランダに日差しが濃い影を作っているのを見ますと、ああ今日も暑い一日か~とげんなりします。
そういえば昔行ってた美術学校で、日差しの強さを強調するには影のコントラストをくっきりさせることだと教わったことを思い出します。
今日は台風接近中とかで多少はお湿りが期待できるのでしょうか。が、あまり酷いことにならないといいのですけどね。
愛媛を離れて東京に戻ると、ホッとすることが多いのですが・・・まあ暮らしてみるとそれなりにややこしいことも多いのでね。でもしばらくするとまた恋しくもなるんですねえ。
とくにこの風景。
これは台所の窓なんですけど、ちいちゃな苗木だったユーカリがこんなに大きくなってくれまして。窓を開けると実に気持ちのいい緑が目に入ってくるんですよ。
ユーカリは伸びるのが早いので、これでもずいぶん剪定したんです。ちなみに軒下のヘンなフックは風鈴用・・・って風鈴、どこにしまったんだろう(笑)。
ところで、ですね。
15日に最初のワクチンを打ちましてから10日ほど経過したわけなんですが。
なーんともないないとタカをくくって過ごしておりましたのですが、先週半ばぐらいからでしょうか、腕の接種地点あたりが妙に痛いような痒いような熱をもってるような、そんな感じがしてきまして。
鏡でじっくり確認しましたところ、おやおやーっ!!
ふっとい二の腕画像をお見せして申し訳ありません。
が、この赤い地図はまさしく・・・。
巷で噂の「モデルナ・アーム」とかいうモノでございますよ!
接種後しばらくして現れるという卑怯な時間差攻撃の副反応ですね。
いえね、私が接種したのはファイザー製なんですけど、モデルナと較べれば症例数は少ないもののやっぱりあるようなんです。
痒いし不愉快ではあるんですけど、これで正規のワクチンを打ちましたという証明にもなりますな。
食塩水とかでなくて何より(ははは)。
次は来月の初旬で、それが済んだらお盆前にまた愛媛に帰る予定ですが、何やら向こうでもややこしい問題が起きてるようで・・・思案中です。
緊急事態宣言発令中で感染爆発な東京からっ!!と叱られそうでもありますしねえ。
オリンピックが終わるころの様子をみて、でしょうか。
そういえばオリンピック始まったのでした(何をいまさら)。
世の中いろいろあるけれど
おサボリ三昧の間に春が去り、若葉が眩しいぞという間に梅雨がきて、そしてまたたく間にあっつ~い夏でございます。
いやいや、今日などは尋常でない暑さでした。もうマスクをして歩くのなんかとんでもないので、家にひきこもっておりましたよ。
若い頃は夏が来ると嬉しかったものですが、今はひたすら涼風の吹く秋になるのを待ち望むようになってしまいました。もういろんな場面で「トシをとったのだなあ」としみじみしております。でも、そうやってしみじみするのが嫌だというわけではないんですよ。婆さんになっていくのもそれはそれで「どんな婆さんになろうかな」とか作戦を練れますから(なんの作戦かわからんですが)。
先週、一回目のワクチン接種を受けてきたんですけども、もう後期、前期高齢者の次という優先順位になっておりまして、いやいや~そうなんですねぇもうそんな年代なんですねぇと、これもまたしみじみ。
しかしここへきてワクチンが足りなくなっちゃったとか、なんなんですかねえこれ。
私は一般の医院で打ってもらってきたんですが、受付のとこには「ワクチン不足のため、新規の受け付けは休止しております」との貼り紙が。
もうあっちもグダグダ、こっちもグダグダ。
無理くりこぎつけた五輪開催も、これまたいろんなとこでケチがつきまくり。
これはもう、日本国全体がずっぽり大殺界だか天中殺だか(まだあるのかな?これ)厄年だかに入っちゃってるのでは?と疑いたくなるほどです。
そういえば、最近巷で絶賛炎上中となっていた、例のあの音楽担当の方はお辞めになるようですね。まああんな感じですから当然といえば当然でしょう。五輪はさすがにいけませんでしょうなあ。しかし、選ぶほうも選ぶほうといいますか、どういう基準で選別したんですかね。曲なんかウマイ歌い手さんがアカペラで君が代歌っておけばいいのでは。
それにしても、例の方のような「いつまでも少年系のオジサン」って、立ち回りが下手ですよね。なかなかいい音を生み出せる才能を持った方のようですが、それ以外のことには頭が働かないようです。ホラ、いつまでも少年だから、先が見越せないんでしょうね。
しかし世論ってすごいな。自業自得なのはもちろんですし、擁護する気はさらさらないtのですけれども(第一知らない人だし)、悪い奴はとことん叩く、倒れたところを踏みつける、正義は勝つのよ最後には!みたいな最近の風潮って。
ちょっと怖いなとも思います。
さて殺伐としたこんなご時世に。
最近一番お気に入りのホッコホコ動画をお裾分けいたします。
幸せが白いモコモコの形をしとります。
か・・・かわいい!寝転んだオジサンがただひたすら羨ましいです。
世の中あれもこれもしんどいですけど、一時でも口の端がゆるむナニか、嬉しいもの、おいしいもの、ほっとする時間を見つけたもの勝ちでございます。
お弁当っていいよね(失敗してもね)。
今週のお題「お弁当」
蓋をあけたときから「おいしい」のがお弁当。
彩りよく、バランスよく。
が。
なかなかこれが・・・うまくいったりいかなかったり。
コロッケ、つぶれてます。蓋する前から・・・。
色もこんがりコロッケ色になってない~~~。
マヨであえたツナや明太子をゆで卵に塗りまして、
さっと焼き目をつけたのが大変評判がよくて。
(お弁当本に出てたのですが、これはおいしいです。子供向けだけど)
この日も。
この日も入れたら、「そろそろ玉子焼きにしてくれ」と。
なので玉子焼きにしたんですが、中に巻いた海苔が変な抽象画みたいな柄に。
おまけにですねえ、えっと・・・このおかず。
・・・・・・蓋に詰めてしまっております。
どーりでアレ今日はたくさん入る気がする・・・と。
下にレタスを敷くのは、こういうときのためでもあるんですね。
移動もスムーズ(全然違いますが)!!
ほんと何十年ぶりかの愛妻弁当。
東京の緊急事態宣言がとり払われたらさっさと帰るつもりなので、短期間ではありますけど、せっせと作ります。
醤油やソースの小袋を入れ忘れても、「おいしい愛」は忘れません。
たぶん。
ははは。
愛媛でご馳走食べてます
3月の下旬に愛媛に帰り、4月のはじめに母をお墓参りに連れて行くためにまた東京に戻って、再び愛媛に来ております。
いや~、全国をコロナの「変異株」とやらが飛び回っておりますな~。
愛媛でも今までありえなかったような数字を毎日叩きだしておりますよ。
夫も今月から新しい職場に勤め始めたのですが、東京に戻ったりしていたので待機期間を余儀なくされ、やっと本日めでたく労働に出かけていきました。
お弁当が必要だということで、いやいやもう何十年かぶりで愛妻弁当などを用意しましたんですよ。カバンに入れられる弁当箱というリクエストに応えたら、こんなに細っこいやつになってしまいました。
なんの工夫もない唐揚げ弁当です。
ジイサンのためのお弁当など地味でつまらんですな。
ただ、雑誌に載ってた「プチトマトのだし浸し」なるものだけは、これはアタリです。
プチトマトを湯むきしてだし汁と酒と塩にひと晩漬けておくだけなんですが、さっぱりだけどいい味わいになっていて、おいしいです。見た目もかわいいし。
まあオジイサン用にかわいいも何もないんですけどねえ。
本当はそろそろ東京に戻りたいんですが、慣れるまではお弁当を持たせてあげて妻のありがたみと恩を売っておこうと思いまして。
というかですね、「東京に来ないで」なーんて言われちゃったら帰れないじゃーないですかー!どうなるんでしょうかねえ、まーた緊急事態宣言!?
でも一年ぶりの愛媛での暮らしはとても気持ちがいいです。
荒れ放題の花壇もやっと修復できまして、今はマーガレットが満開です。
小菊みたいですが、変わった品種のマーガレットなんですよ。
昨年は見ることが叶わなかったコデマリちゃんも大きくなりました。
いやいや、元気に咲く花を愛でるのはなんと幸福なものでありましょうか。
先日やっとこの家にも光ケーブルとwifiを導入いたしまして、「不便!!」がひとつなくなりました。私はスマホで文字を打つのがホント苦手でありまして、パソコン使えるのは何よりです。これでマメにブログ更新できます!(そうか?)
こちらで暮らす人には、風の匂いもお日さまの気持ちよさも星空の見事さも、ごくあたりまえの日常でしかないのでしょうが、窓から向かいの建物しか見えない暮らしをしている私などにとっては、毎日がご馳走です。
菜々子も一緒に来ています。
これ、お仏壇なんですよ。中にお骨が収納されとります。
写真は12歳の誕生日のときのです。
夫はこれをみるたびに涙目になっておりましたが、最近はそれもなくなってきたかな。
ふたりとも心の中の「菜々子がいた場所」はぽっかりと空洞になったままですし、もしもまたいつか縁があって生きものを迎えることがあっても、そこは埋まることはないのでしょうね。
「永久欠番 」みたいなものかなー。
でも胸のなかにそういうものがあるって、淋しいけれどもちょっといいじゃないですかなんて思っちゃったりしております。
世間はため息が出るようなニュースばかりですが・・・・。
でも春です。新緑が目に沁みるいい季節です。
今年もお会いできましたね。
桜、東京は早くも開花しましたね。
やはり日本人の心は富士山と桜にありますなー!
少し離れた公園のソメイヨシノもぽつぽつ咲きだしています。
早咲きのヒガンザクラはもう満開に近くなっていました。
メジロたちが蜜を吸いに飛び回っています。かわいい。
今年も桜が眺められてほんとに嬉しいです。
世の中がどんなでもきちんと咲いてくれる花に心がなごみますね。
犬の首輪を持ってかつてのお散歩コースを歩くなんてこと、私はやるもんか!だって泣いちゃうじゃないの!と思っていたのですが。
やっています(笑)。ポケットに首輪をしのばせて。
お散歩がなによりも大好きだった菜々子ですし、私も毎日の犬散歩がなくなってしまうとホント歩かなくなってしまうのですよ。だから健康のためにっと言い訳をつけながら、菜々子と歩いた場所を辿ったりしています。
ああここ、菜々子が好きだったよなあ、とか思いながら歩いています。
泣いてませんよ。
結構楽しく歩いています。
不思議なんですよね、ひとりでいてもめそめそ泣いたりしないのですが。
誰かと話しているともうダメです。動物病院への報告とお礼の電話のときも、お米屋のオジサンに「ワンコどうだい?」と聞かれたときもべそべそ泣いてしまいました。
夫との電話でも、毎回向こうが鼻水をすするので(笑)、すぐつられてしまいます。
でも、夜目が覚めたときなど(菜々子の闘病生活で夜中に目覚めるクセがついちゃったんです)台所のスツールに座ってしばらくぼんやりしていることが多いのですが、ああ、ほんとにもうどこにもいないのだなあ。いなくなっちゃったんだなあ、と思うのです。
そんなでも不思議と涙はこぼれないのですよ。
そっかー。しかたないことなんだなあと妙に納得したりしているのです。で、夜中にコーヒーなどを淹れて飲んで、うーむ初挑戦のこの銘柄はイマイチだな、こんどはあっちのにしてみようなどと普通に思ったり、お菓子漁ったりしてるんです(コラ、夜中だぞ!)。
私はドライなのかなと考えたりもしたんですが、どうもそうではなくて。
菜々子はきちんと私の心の後始末もして逝ってくれたんだなと思うのです。
私がいつまでもめそめそぐしぐししないように。楽しい思い出だけが残るように。
あれよあれよという間にわが家のお犬様に収まったときもなんか魔法でも使われたみたいと感じたものでしたが、どうやら去るときも特別な魔法を使ったようです。
家に飾ってある唯一の菜々子写真。
夫が奇跡的に素晴らしく撮れた菜々子の遺影(になっちゃったんだなあ)を愛媛に持って帰ってしまったので、毎日これに話しかけています。
これは菜々子を愛媛の海にはじめて連れて行ったときのもので、大好きな写真なんです。後ろ姿からでも、海を見つめる菜々子のワクワク感が伝わってくるようで。
さて今週は私も愛媛に帰ってこようと思っています。
菜々子のお骨を連れて。新幹線で移動ができるのは何よりですねえ。
東京はまだまだ「感染爆発地域」なので、帰ってもしばらくは家に閉じこもって自粛をしなければなりませんが、それでも満開の愛媛の桜には間に合いそうです。
こっそりコメ欄もスターも再開してみました(うははは)。
またくだらなくも元気な戯言を綴っていきたいと思っています。
あらためましてどうぞよろしくお願いいたしますです。
菜の花の頃に。
えー。
さる2月28日の夜に、菜々子永眠いたしました。
あっという間にいっちゃいました。
少し呼吸が乱れていたので酸素室に入れていたのですが、いやな予感がして酸素室の扉を開けた途端、大きく口をひらいたかと思うと私の腕の中でぐんにゃりとなりました。
覚悟はしていたのですが、あんまりにもあっけなく急だったので、最後までせっかちだなあアンタは、と思ってしまいました。
菜々子は冷たくなってもかわいいやつのままで、ほんと眠ってるみたいでした。
で、こんなになって戻ってまいりました。
骨までかわいかった(笑)。
あとちょっとで14歳の誕生日だったのに。
ちゃんとケーキはミキサーにかけて飲ませてあげるつもりだったのに。
「流動食なんてごめんだい!」だったのかなあ。
不思議なことに。
私、悲しくないんですよ。
もちろん急遽帰省した夫とともに、もう3年分ぐらいの涙は流しましたけれども、今日夫が愛媛に戻ったので今は部屋にひとりでいるんですけども。
全然悲しかったり淋しかったりっていう感覚、ないんです。
きっとまだ」そこにいてくれるのかもしれないですね。
菜々子、今までほんとうにありがとう。私ずいぶん幸せにしてもらいましたよ。
またいつか。
またいつか会おうね。
きっとだよ。
菜々子を応援してくださった皆様にも心からの感謝を申し上げます。
老害。
いやいや~、還暦オババの耳にはある意味痛いタイトルでございます。
いえね、最近「老いる」ってことをしみじみ考える機会が多くなりましてね。
自分はもちろんなんですけど、ホラ、犬がねえ。年末に比べたらずいぶんと復調はしたのですけれど、元気になったのかと言われれば「弱りました」と答えるしかない状態なのですね。
まず、食べないのです。あんなに大好きだったオヤツを出してもそっぽを向きます。焼き魚でもしたらいの一番に骨を貰って、バリバリ齧ってたのが嘘のように今は力なくぺろぺろ舐めるだけなのです。背骨もアバラもはっきりくっきりなほど、痩せました。
でも、私がせっせとこしらえる、魚だの肉だの菜々子の好きなあらゆる食材と、高栄養高カロリー(おまけに高価格)のウェットフードを混ぜ合わせた流動食はかなりの量、飲み下してくれています。これが飲み込めなくなったら、もはやこれまで・・の時だと私は覚悟しております。
もちろん心臓病という大きな疾患が大元ではあるのですが、それがさらなる「老い」というものをどかんと呼び込んでしまった気がします。
菜々子のような中型犬はまもなく14歳といったらもう立派に高齢者です。あまり見た目が老けない(うらやましい!!)し、よく食べよく歩く犬だったので一緒にいてもつい見過ごしていたんですけど。
でも人間でも、それまで元気ハツラツな若々しい人が病気や怪我、もしくは認知症がはじまって一気に老け込むとかってありますもんねえ。
菜々子も一気に「老犬」になってしまいました。目も耳も鼻も衰えてきています。外から戻った私がドアを閉める音に気付きません。ボウルに入った水の量がわからなくて、鼻先をつけてはじめて飲み始めます(なのでいつも満タンに)。匂いの強いものでないと食べものかどうか認識できないようですし、噛む力も弱くなっています。
数えだしたらキリがないほど「できないこと」が増える、老いていくというのはそういうものです。イキモノはたぶんみんなそうなのです。
あんなになんでも楽しめたのに。
あんなにあちこち行けたのに。
活力があるときに輝くのはあたりまえです。
いろんなものを身につけてそれを満喫するのは楽しいことです。
でも、老いるというのはひとつずつそれを手放していくことでもあるんですね。
それを切ないばかりだと思うか、終わりに向けて身軽になる準備だと考えるかはそれぞれなんですけどね。淋しいことではあるでしょうが、悲しいばかりでもないんじゃないかと、そんな気がするのです。
私はできるだけ荷物は持たずにあの世とやらに行きたいなと思っております。死ぬ間際まで、あれこれ頭の中に渦巻いてるようなのはゴメンです。この世のことは、すべて無にしてサヨウナラ、これが一番かと。
だからやれるときにはやる、動けるときには動く、考える頭のあるうちはなるべく有効に使う、を実践していきたいのです。
(ぜんぜん出来てないけど・・・・・)
菜々子なんか。
思い残すことなんかないだろオマエ、と思いますよ。(デブになるくらい)好きなもん食べて、行きたいとこに行って、みんなに可愛がってもらって。まああの、生まれて出だしでは躓いたかもしれないですけど、結果オーライでしょ?え?違う?
で。
タイトルの「老害」。
悪いお手本の方がいらっしゃいますよねえ、いろいろと。
年をとるのは悪いことではない筈なのに、「やっぱジジババはやだね~」とか言われてしまうのはああいう方々が幅をきかせているからかもしれませんな。
いさぎよく去るっていうのも必要なことだと思いますけどね。
私・・・はまだまだジタバタ生きますよ。「無」に向けて最後のあがきを(笑)。
ウサギのシッポみたいな菜々子のお尻。可愛くておもわず撮った一枚です。
写真ではわかりにくいけど、もうお尻なんか骨がゴツゴツなんですよう・・・。