老害。
いやいや~、還暦オババの耳にはある意味痛いタイトルでございます。
いえね、最近「老いる」ってことをしみじみ考える機会が多くなりましてね。
自分はもちろんなんですけど、ホラ、犬がねえ。年末に比べたらずいぶんと復調はしたのですけれど、元気になったのかと言われれば「弱りました」と答えるしかない状態なのですね。
まず、食べないのです。あんなに大好きだったオヤツを出してもそっぽを向きます。焼き魚でもしたらいの一番に骨を貰って、バリバリ齧ってたのが嘘のように今は力なくぺろぺろ舐めるだけなのです。背骨もアバラもはっきりくっきりなほど、痩せました。
でも、私がせっせとこしらえる、魚だの肉だの菜々子の好きなあらゆる食材と、高栄養高カロリー(おまけに高価格)のウェットフードを混ぜ合わせた流動食はかなりの量、飲み下してくれています。これが飲み込めなくなったら、もはやこれまで・・の時だと私は覚悟しております。
もちろん心臓病という大きな疾患が大元ではあるのですが、それがさらなる「老い」というものをどかんと呼び込んでしまった気がします。
菜々子のような中型犬はまもなく14歳といったらもう立派に高齢者です。あまり見た目が老けない(うらやましい!!)し、よく食べよく歩く犬だったので一緒にいてもつい見過ごしていたんですけど。
でも人間でも、それまで元気ハツラツな若々しい人が病気や怪我、もしくは認知症がはじまって一気に老け込むとかってありますもんねえ。
菜々子も一気に「老犬」になってしまいました。目も耳も鼻も衰えてきています。外から戻った私がドアを閉める音に気付きません。ボウルに入った水の量がわからなくて、鼻先をつけてはじめて飲み始めます(なのでいつも満タンに)。匂いの強いものでないと食べものかどうか認識できないようですし、噛む力も弱くなっています。
数えだしたらキリがないほど「できないこと」が増える、老いていくというのはそういうものです。イキモノはたぶんみんなそうなのです。
あんなになんでも楽しめたのに。
あんなにあちこち行けたのに。
活力があるときに輝くのはあたりまえです。
いろんなものを身につけてそれを満喫するのは楽しいことです。
でも、老いるというのはひとつずつそれを手放していくことでもあるんですね。
それを切ないばかりだと思うか、終わりに向けて身軽になる準備だと考えるかはそれぞれなんですけどね。淋しいことではあるでしょうが、悲しいばかりでもないんじゃないかと、そんな気がするのです。
私はできるだけ荷物は持たずにあの世とやらに行きたいなと思っております。死ぬ間際まで、あれこれ頭の中に渦巻いてるようなのはゴメンです。この世のことは、すべて無にしてサヨウナラ、これが一番かと。
だからやれるときにはやる、動けるときには動く、考える頭のあるうちはなるべく有効に使う、を実践していきたいのです。
(ぜんぜん出来てないけど・・・・・)
菜々子なんか。
思い残すことなんかないだろオマエ、と思いますよ。(デブになるくらい)好きなもん食べて、行きたいとこに行って、みんなに可愛がってもらって。まああの、生まれて出だしでは躓いたかもしれないですけど、結果オーライでしょ?え?違う?
で。
タイトルの「老害」。
悪いお手本の方がいらっしゃいますよねえ、いろいろと。
年をとるのは悪いことではない筈なのに、「やっぱジジババはやだね~」とか言われてしまうのはああいう方々が幅をきかせているからかもしれませんな。
いさぎよく去るっていうのも必要なことだと思いますけどね。
私・・・はまだまだジタバタ生きますよ。「無」に向けて最後のあがきを(笑)。
ウサギのシッポみたいな菜々子のお尻。可愛くておもわず撮った一枚です。
写真ではわかりにくいけど、もうお尻なんか骨がゴツゴツなんですよう・・・。