ここで待ってます

喜怒哀楽のなぐり書きですが。

いるけどいない

起床時間がどんどん早まっています。

4時をまわると、定例アラームが鳴ります。

夜ごはんの時間も、以前は6~7時まで待機できたのに

今は午後4時半には催促が始まります。

菜々子時計もだんだん狂いが生じてきましたねえ~。

 

でも、散歩もななごはんも済ませて、朝のコーヒーと共に

お気に入りのブログを読ませて頂くのは至福のひとときです。

早起きのため、時間がゆったりと過ぎる気がします。

楽しく覗かせて貰っているブログ主さんとこのワンコさんが、

避妊手術のためにはじめて「お留守」になる、とのことで。

もう、その心配ぶりが痛いほど伝わってきましてね。

 

で、そのブログ主さんが、ワンコを病院に預けて、家に戻ると。

当然ながら、いないわけです、家の中に。ワンコが。

「あ、いないんだなー」と。

 

この感覚って。

大切な相棒、家族としてのいきものを失った方はもちろんですけれども。

こうやって短期間でも家の中に存在がいなくなるのを経験した方は、

すごくよくわかるんじゃないかと思うのですけど。

 

ほんとに「いない空気」というか「いない雰囲気」というか。

違うんです。たまたまどっか目につかないところにいて、ただ姿が

見えないってだけの時と全然違うんですよ。

自分が病院やその他のとこに連れていったのだから、帰ったときに

いないなって感じるのは当たり前かとお思いでしょう。

そうじゃなくてねえ。

うまく言い表せないんですけど。

 

ドアを開けた瞬間に、「しーん」とするんです。

菜々子の場合も、たとえベランダとかに寝ていて部屋に姿がなくても

気配はしっかりあります。

例えば以前夫がいたとき、私が仕事から戻る頃合いにちょうど散歩に

出かけて留守のときがよくあったんですね。

ドアを開けた瞬間にね、わかるんですよ、いないなってのが。

お散歩バッグや、リードや、夫の靴の有無なんかを見なくても。

(まあ、出迎えがないってのが一番大きいわけなんですが)

 

これって、結構気分がしんなりするんですよね。

いないってことにではなくて、ちっぽけなワンコ一匹の、その存在の

大きさにしみじみ気づくというか。

菜々子が本当にいってしまったら、私は毎日こんな思いをするのかなと。

 

もう何年も前ですけど、上の階に黒ラブと暮らしてるご夫婦がいまして。

そのワンコが亡くなったと聞いたとき、この狭いマンションの部屋で、

あんな大きな存在がいなくなったら、どんなにか辛いだろうなと。

いや、体の大きさではなく、たとえ金魚一匹だって、空の金魚鉢や

それが置かれてたスペースが空いただけでも十分に・・・・。

その奥様も、会うたびに目が腫れてましてね。

「死んじゃったのはもう納得してるんだけど、あの部屋にいないって

そのことだけには慣れないのよ」そうも言ってましたっけ。

ご夫婦はまもなく引っ越されましたが、私も菜々子がいなくなったら、

ここで暮らすのはキツすぎるなぁ、って思いますねえ。

ここでの暮らし=菜々子との暮らしですから。

さっさと売り払って、実家に出戻ることになるんでしょうか。

母が元気なうちは、年の半分ぐらいは愛媛暮らしさせてもらって。

その日って、確実に近づいているんだなぁ、なんてね。

 

f:id:konnezu:20200526162140j:plain

ちょっとォ、縁起でもない感傷に浸らないでよ。

アタシはここにいるわよ。

はやくゴハンにしてよ。

 

まあ、その日はできるだけ先延ばししてくださいね。

アナタのちびったシッコ拭きぐらいは、私は全く

気にしませんから。

 

そのブログ主さんとこのワンコ、無事ご帰宅したそうで。

よかったねえええ~。