ここで待ってます

喜怒哀楽のなぐり書きですが。

頭がつん!とされました。

朝から凄い記事を読みました。。

いつも愛読させていただいているこちらのブログです。

 

however-down.hatenablog.com

いや、ひぇぇぇー!と思いました。

これ、本来なら普通の人は触っちゃいけない、いや触れないことでしょう。

この方ぐらいしかいないんじゃないでしょうか。こんなふうにためらいもなく、堂々と正面から鷲掴みにできる人というのは・・・・・。

「十分、みてきてますけど何か?」「十分支援もしていますが何か?」「十分肌でびんびん感じてきましたが何か?」

これに反論などできる人がいるんでしょうか。

もちろん私には触れることができません。小心者なのもありますが、たやすく触れるほどのことなど何もしてきていないからです。あのときあそこで悲劇を味わった方々の無念や痛みや苦しみなんていうものは、部外者の私には想像でしか感じることができないからです。変わり果てた「大切な人」にとりすがって泣くしかできない絶望を、大勢の取材クルーのカメラに囲まれながら味わうことがどんなことなのか、私自身がそれを体験するまでわからないと思うのです。

ただ。

あのしらじらと美しい立派な道路や。住宅や店舗や人々の暮らし。

日本の高い技術力を駆使して再建された街並みを見ると、ああ良かったと素直に思う反面、なにか割り切れないようなおかしな感覚がいつもありました。

復興って、こういうことなんだろうか。

もちろん、人の暮らしの再建は大事ですし最優先されるべきものではあるんですが。

人間の意識も果たして復興されているんだろうか、と思ってしまうのです。

もとの状態に戻る、という意味でならば、私自身はすっかりもとに戻っています。忘れてしまった、というよくない形をとって。最近揺れを感じることが多く、やたら緊急地震速報が鳴るのですが、あの震災後しばらくの間の危機感は全くありません。ついでに言うならあの震災時、家で一匹留守番をしていて大パニックを起こし、その後の一年ほどはぐらっとするだけで避難所(洗面所です。笑)に逃げ込んでいた菜々子すら、今は震度3程度では起きもしません。

忘れていくのは仕方のないことなのだと思います。でも、すぐ思い出せる忘れ方をするのはやはり大事なことなんではと。

しかし。

「風化」を恐れる人ってどのぐらいいるんでしょうね?

「風化しない、させない」が必要な理由とは・・・・・?

私の亡くなった祖母は、大空襲の下町を子供の手をひいて死体を踏んづけながら逃げまどった人でした。後に叔母(その手をひかれた子供です)からその話を聞くまで、私はそれを知りませんでした。祖母は一切その話をしなかったからです。あの気丈でワイルドな祖母ですら、口に出したくなかった光景、忘れてしまいたかったほどの思いとは。

 

終戦記念日になると、TVなどではさかんにその「語り部」さんたちが口を開きます。もちろん戦争は二度と起こすべきではないものですし、その悲惨さを語り継ぐのは大事なことなのでしょう。ですが私はそれを目にするたび、いつも違和感を覚えてしまうのです。風化させてはいけない、語り継ぐべきものはその恐怖や悲しみではないのではないかと。

あるとすればそれこそ「教訓」。

あんな惨劇を起こさないためにどうするのか。

もし不幸にも起きてしまったらどうしたらいいのか。

涙し、祈り、こうべを垂れるだけでは私は意味がないような気がします。犠牲になった人々の無念な思いに応えるためには私たちが「二度と同じ穴には落ちないこと」それにつきるのではないかと思うのです。

また長くなってしまいました。

こんなちっぽけなブログにて失礼でしたが、引用させて頂いたももはなさんには心から感謝いたします。

ももはなさんの記事を読んで、すぐに頭に浮かんだ曲を貼りまして、終わります。

ありがとございましたっ。

www.youtube.com

失礼ながら本家の中島みゆきよりイイです!

私これ鳥肌がたちました。

よろしければぜひ聴いてみてください。