ここで待ってます

喜怒哀楽のなぐり書きですが。

親が子に残すものは。

ネットニュースや、ブログなどを拝見しておりますと、「毒親」という言葉をよく目にします。特にブログでは、理不尽な親に振り回されている(過去、現在も)人が多いことに驚きます。

親にとって、子供の存在がどういうものなのかは想像はできますが、実際に子を持つことが叶わなかった私には永遠にわからない「お題」であります。

けれども子供にとって親の存在がどういうものかは、子供時代を経験したすべての人が身に染みてわかること、ですよね。

自分で餌をとることが叶わないヒヨコの頃は、親の存在は「絶対」です。親が住処やご飯や学校に行くお金、病気になったとき治してもらうお金を捻出してくれなければ、子供は途方にくれてしまいます。もちろん世の中には実際に途方にくれている子供がたくさんいて非常に問題になっているのですが、あえて今回はそこには触れません。

最低限の「子供の生活」はクリアできているけれども、親という存在に苦しんだことがある、今も苦しめられている人がたくさんいるというのは、お金で解決できる問題じゃない分、非常に辛い、切ないことだと思うのです。

特に娘が父親に抱く感情というのは、なかなかに込み入ったものがあるような気がします。母親には同性であるぶん、親近感にしろ、嫌悪感にしろ、まだ自分で納得のいく答えが探り当てられそうなところがあります。

私は父親が他界するまで、生涯、一度も気を許せたことがありませんでした。子供を路頭に迷わせることはなかったけれど、精神的にはずいぶん追いつめられていた気がします。父は父なりに私を愛してくれていたのでしょうが、それは私というよりも、「自分の思い描いていた理想の娘」であったのだろうな、と思うのです。

大病をした後、「紺ねずは傷ものだ。もうだめだ」と母に向かって言うのを聞いてしまったとき、私はショックというよりも実に晴れ晴れとした気持ちになったものです。

「ああ、これで思い残すことなく、家を出られるな」と。私を絡めとっていたものから放されるんだなと。もうお父さんの喜ぶ娘をやらなくってもいいんだと。

父が亡くなったとき、斎場で棺が焼かれている間、兄と交わした会話が心に残っています。

「逝っちゃったね」と私。

「終わったな」と兄。

兄もまた、父の望むレールは重荷だったのだな、とそのとき気づきました。

父がその生涯を閉じることで私たち子供にくれたもの。

それは「解放」だったのかなと。

 

大人になっても親と繋がる「血」に苦しむ人を見ると切なくなります。

けれど、その血や繋がりは、もう親の庇護が必要じゃなくなった自分たちに、どれほどの意味があるんだろうか、とも思います。

もう親とへその緒が繋がった胎児ではないんです。今自分の中を流れる血は、自分だけで作り出したもの、100%自分オリジナル。そう考えて貰いたいな、って私は思います。

昨日は父の日でしたね。

お父さんと娘さんの、とてもほっこりした記事を読むと心が和みます。

が、私の胸にとても響いたのは愛読させて頂いているこの方の記事でした。

www.kimamariko.net

私の父と他界した年齢も一緒でしたので、ついつい読んでしまったのですが。

 

でも、私は結婚して「幸せになった」のではなく、父に育てられたことで、ただ「幸せを感じられる」ようになっただけなのかもしれません。 なんてことはない私の今の生活を幸せだと感じられるのは、辛い子供時代があったからで、父のお陰なのではないかと・・・ 「幸せ」などという実態のないものをつかもうとするのはとても難しい。 けれど、住む家があって美味しいご飯が食べられる、という普通のことに幸せを感じれらるように私を育ててくれたことに関して、私は父に感謝しければならないのかもしれません。 そう思うと父は私に素晴らしいものを遺してくれたのかもしれない。 私の子供はそんな風に当たり前のことに幸せを感じられるだろうか? 私の絵に描いたような幸せな家庭は子供達に「幸せ」というものをどう捉えさせたのだろうか?

父の日、幸せについて考える。 - Kimamariko

 ここの部分は、すごく胸に沁みるものがありました。

Kimamarikoさま、とてもいい記事を、ありがとうございました。

親との関係はいいに越したことはなく、またないがしろにするべきものではないと思います。だけど、もう自力で飛んでいけるようになったならある意味「もう親でもないし子でもない」も必要なんではないかと、まあこれは暴論ですが、そんなふうにも思うのです。この点では、空をいく鳥たちを見習う部分があるのかな、なんて。

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人間は甘いわ、ですかね。