そりゃ嫌いなやつは大嫌い、だけど。
さてさて9月でございますね。
今朝は少しお湿りがあったせいで、朝散歩が快適でした。
今週末には大型の台風がくるとのことで心配ではありますが、やっと猛暑の夏が後ろ姿を見せ始めたのは何よりです。犬を夜散歩に連れ出すのも恒例となってしまったのですが、夜風の中に秋の気配を感じるのはなかなかに気持ちのいいものですね。
普段からたいして出歩かない私でも、今年はなぜか半分以上「損したな」という気分です。自粛という名のうっとうしいマスクと早くオサラバしたいもんですけどねえ。東京の感染者数などは確かに峠を越えた感じになりつつありますけど、どうなるんでしょうか。
お彼岸のあたりには、半年ぶりに愛媛に帰れるかなと期待しているんですけどね。
また無人駅のホームをお散歩したいよね。
もうずいぶん前のことになりますが。
俳優の唐沢寿明サンがあるバラエティー番組の中でね、「(人の)好き嫌いが結構はっきりしてますよね」とふられて。
「あったりまえだよ。嫌いなやつなんか大嫌いだよ」と返したのを見て、面白い、なかなかいいやつじゃないかと思った覚えがあります(笑)。
嫌いなやつなんか大嫌い。それがまっとうで健やかな当たり前の心理だと思います。
私も夫や親しい友人や犬の菜々子などに、「あいつダイッキライ。抹殺されてほしい」とか物騒なことをしゃべることは多々あります。
でも、その思いを「永遠に残る文字」に残してしまうのはどうなんだろう、おまけに誰もが目にすることができるSNSなどの場所に。たとえ本人が削除したとしても、魚拓として保存することがいくらでもできるところに。内輪で暴言を吐くのと、公に向かって発表するのはわけが違います。だけど、それがわからない人ってたくさんいらっしゃるのですよねえ。
それはものすごく恥ずかしいことなんじゃないかと思うのです。失言する人は叩かれると「そんなつもりじゃなかった」的なことを必ず謝罪するのですが、恥の上塗りになってしまい、その人の品位すら地に落ちることになります。
安倍さんが電撃辞任をしてから、こういう方々がとても目につきますね。
私は特に安倍さんを支持していたわけでもありませんし、正直健康状態という、それを出されたら突っ込めないではないか、みたいな理由でのお辞めになり方を美談みたいにするのはなんだかなあとは思いますよ。
だけどさー。
具合が悪くてしゃがみこんでいる人の後ろに回って蹴りを一発入れるみたいなのって、卑しくないですか。こんなのを「正当な批判」とかいうんなら、それはもう人間として残念でしかないヤツ・・・だと思うのですが。
しかしアレですなあ。安倍さん(ご夫妻)って「嫌いな人」にとってはもう憎しみに近いくらいの感情をかきたてる方なのですねえ。ごく普通のブログでも、「なんだ?親の仇かなんかか?」と思われるぐらいの書き方をされてる人を何人も見ました。
まあ。
なんでもお国側の方々のせいにしてしまえば、誰も傷つきませんし、「正しい批判」って受け止められる・・・ってことなのでしょうか。
先日和歌山でのイルカ漁解禁に向けての反対デモ活動のニュースを見たときも、同じような違和感を感じました。本人たちが正しいと思っているだけの抗議って、傍から見ると非常におかしなものなんですね。
いいとか悪いとか正しいとか間違っているとかだけで動く、そういう方々からは離れていたいものだと思います。
この間スーパーでわざわざマスクをずらして咳こんでるオジサンに出会ったときのように、素早くすみやかにソーシャルディスタンス。
嫌いとか不愉快とか憎いとか、そういうマイナス感情は容量、使用法を正しく守って扱わないと「気の毒な人」になってしまいます。肝に銘じたいもんです、うんうん。
さー9月。やっと9月。
秋のおいしいものでもたくさん食べて、みなさま元気に過ごしましょう。